昔、あるところに不幸なメアリと呼ばれていた女がいました。
メアリがどうして不幸と呼ばれていたのかというと、彼女が出かける先では彼女だけが決まってひどい目にあいましたし、町に地震や嵐などの災害が起こるたびにメアリの家だけがひどい被害を受けていたからです。
町にはやり病が流行したときには、メアリの家族はメアリと黒猫のジャック以外は皆死んでしまいました。
このように、生まれてこの方、ひどい目を見たことはあってもいい目を見たことがないことはメアリ自身よくわかっておりましたので、メアリはいつも、「私はなんて不幸なのだろう」と嘆いていました。
ある時、メアリの住む町に有名な旅の魔法使いがやってきました。この魔法使いは行く町行く町で、魔法の力で人助けをしながら修行の旅を続けていました。そして、わずかなすごい魔法で幾人もの人々を幸せにしてきたことは、旅の商人達の話からメアリの住む町の人々も聞いていたので、魔法使いは町の人々から歓迎を受けました。
「きっとこの方なら私に付きまとう不幸の影を取り払ってくださるだろう」メアリは生まれて以来めったに輝かせたことのない顔を期待に輝かせました。
早速、メアリが魔法使いのところに行くと、ちょうど魔法使いは石工の仕事を魔法で手伝っていました。魔法によっていくつもの大理石の塊がたちまち立派な彫像へと姿を変えていきます。メアリはその様子を驚きながら見つめ、更にその胸のうちにある期待を膨らませました。仕事を終えて、石工の弟子たちが彫像を宿屋の魔法使いの部屋から運んでいる中、休憩している魔法使いにメアリは話しかけました。
「こんにちは、魔法使いさん」魔法使いは振り向くと、メアリの顔を見て微笑みました。
メアリは、魔法使いというのはすっかり年をとっているものだと思っていましたが、この魔法使いは、厚いレンズのメガネをかけた青年でした。
「こんにちは、あなたもこの町の方ですか」魔法使いはメアリに尋ねました。
「ええ、そうです。私はメアリといいます。今日は、あなたにお願いがあってあなたに会いに来ました」
「お願い、ですか」魔法使いは首をかしげました。
メアリは、魔法使いの前に跪くと、「ええ、お願いです。先ほどもあなたのすばらしい魔法の力を見せていただきました。ぜひともその魔法の力で、不幸な私を幸せにしていただきたいのです。」と魔法使いに懇願しました。
魔法使いは、哀れなメアリの願いを聞くと、少し考えるそぶりを見せた後、メアリにこう言いました、「メアリさん。あなたの一番大切なものを私のところに持ってきてください。」
そう言われたメアリは急いで家に帰ると、家の中を見渡し、自分の一番大切なものはいったい何かを考えました。
「お金は大切だけど、また稼げばいい。父さんや母さんの形見も大切だけど、二人の思い出は私の胸の中にある。それに、不幸なままだったらそれらは全ていつか不幸な事が起こって失われてしまうかもしれない。それならば、まだあの魔法使い様に差し上げたほうがいいだろう。さて、そうすると、いったい私は何を一番大切だと思っているのだろう。」
メアリが考えあぐねていると、メアリの目の前に猫のジャックがよって来ました。この猫は今となってはメアリの唯一の家族で心のよりどころです。ジャックはメアリの足に体をすり寄せて来ました。そのジャックを見てメアリは、「ジャックこそが私の一番大切なものだ」と思いました。メアリはジャックの体を抱えると、宿屋の魔法使いの部屋まで走っていきました。
魔法使いの部屋に着いたメアリはジャックを抱えた両手を魔法使いの目の前に突き出すと、「これが、私の一番大切なものです」と言いました。
魔法使いは無言でメアリのほうを一瞬だけちらりと見て、差し出されたジャックをじっと見ると、ジャックに向かってなにやらぶつぶつと呪文のようなものを唱えました。すると、ジャックの真っ黒な体は光を放ち始めました。自分の体に起こった変化に驚いたジャックは、メアリの体から飛び出るとどこかへ走り去って行きました。メアリは、走り去っていくジャックを追いかけようとしましたが、すぐに見えなくなってしまいましたし、魔法使いが呪文を唱えるのをやめた事に気づいたため、追いかけるのをやめ、魔法使いの方を向いて魔法使いに尋ねました。「さっきのジャックに唱えていた呪文で、私は幸せになったのですか」
魔法使いはこう答えました、「そんな虫のいい話がこの世に本当にあるわけないだろう。これで、お前には猫一匹しか残されてはおらぬわ。」
メアリは驚きました。驚きのあまり、何もいえず、ただ、口をあけていることしかできませんでした。
「そして、この猫を殺せば、貴様には一片たりとも希望は残されない。私は、そのときのお前の絶望を待っていたのだ。」
魔法使いの姿はいつの間にか、化け物へと変わっていました。そして、化け物はその鋭い爪でジャックの首を切り落とすと、窓から飛び去っていきました。
こうして、部屋には呆然と立ち尽くすメアリと、首を落とされたジャックだけが残されました。
その後、メアリが幸せになることはなく、三日後には不幸にも階段から足を滑らせて転落死してしまいました。
おわり